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ハムレットマシーン

休職中の日記が5日坊主で、もう休職期間が終了しようとしています。。
束の間の夏休みでした。さよなら…。

 

先日宗岡さんの「ハムレットマシーン」を見てきました。
二日間の公演期間の中でおそらく私が一番長く会場に滞在していたと思います。
言葉で感想をまとめようとしたのですが、ハムレットハムレットマシーンの内容を全然理解していないので、
内容について書こうにも薄っぺらくなってしまうなと…。
(本も持っており、何度も読もうとしたのですが何度も挫折しました…)
なので、公演の感想がわりに、写真から絵を描いてみました。

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会場が、地下室の秘密の集会所のようでとても居心地が良かったです。
初日は雨が激しく降っていたのと、多くても4人ぐらいしか会場にいなかったため、閉じ込められている感覚でした。
雨の音と宗岡さんが繰り返す言葉がコンクリートに染みていくような…。
初めて訪れて脚本を渡されて、ハムレット役の台詞を読むように促された時、
自分が大学を卒業して以来演じることをしてこなかったのと、考え方が変わり、演じるということやフィクションについて信用できないように思えてしまったので、自分はハムレット役じゃない、と思いながら文字を追う事しか出来なかった。。
こんなにも演劇が遠いものになってしまったのか、、と自覚したり。
このあとに、読まないという選択肢を取ったお客さんもいたので、そうすればよかったのか、、と後々悩んだり。。
初日は見ていて人数が少なかったこともあり、宗岡さんの言葉が観客の一人一人と話している(届いている)気がしました。
最後には一緒になってシャボン玉を吹いたり、この辛い現実の中を抜け出して楽しんでいる場に思えました。


2日目は15時くらいから見たのですが、既に小さい会場にひとがいっぱいいて、最後までその状態でした。
初日同様脚本を渡されたものの、初日と同じことをしてしまう。
他の人のハムレット役を見て、自分はそうは出来ない・・・と思う。
演技を見るということは受け手に回るということ、演技を行うということは場を支配すること。
東京に行ってからほとんど芝居を見ることはなくなったのですが、
それが何故かというと、自分が受け手であるということを嫌でも感じさせられるからだったな、と宗岡さんのハムレットマシーンを見て思い返しました。
こんなに役者と近くにいても、見ることしかできない(と思わされる)受け手の無力感。
宗岡さんが最後「悲しくなった」と言っていたのにとても悲しくなってしまいました。
何か出来ないか…と思ってしまいましたが、でもそれはエゴで、はたから見て狂気なのでしょうか…?
がんじがらめになって、自分の立場が揺さぶられて動けない。
最後線香花火したら楽しいだろうな、と思っていたけど、実際やってみたらちょっと寂しかったですね。。

 

この二日間ずっと繰り返される言葉と、どんどんボロボロに汚されていくウエディングドレスを見て、
言葉にならない灰色の気持ちが漂ったり、急に霧が晴れたようになったり、また淀んだり、を繰り返していたのですが、、
こうやって言葉に書き起こしてみると薄っぺらくて、何も伝わらない気がしますね。
とても自分にとっては大切な時間だったなと思いました。
とりあえず、自分の備忘として残しておきたかったのです。。

 
最近、昔わからなかったものが急に理解できるように感じることがあります。

この公演にあたり、大学時代に自分が演出して上演した太田省吾のプラスチックローズの脚本を見返したのですが(公演の中で少しだけ使われていたので)
公演していた時とは段違いで内容が脳に染み込んできて、クリアになる感覚がありました。
ひとつひとつの言葉が切実で、ちぐはぐな言い回しに人の生を感じ、とても良いのです。
ちなみにプラスチックローズは『裸足のフーガ』に載っているので是非読んで下さい。。

裸足のフーガ

裸足のフーガ

 

 

ハムレットマシーンも、大学時代は読めなかったけど、今だったら理解できるのかも。
市川さんから貰った本が実家にあるので取りに帰ろうかな…。
今度こそ、ちゃんと読んでみようと思いました。

おしまい。